宇治の黄檗宗萬福寺に行って参りました。
まず、写真の植物は黄檗樹(和名:キハダ)です。ご開山様の隠元禅師(1592-1673)が来朝される前に住持でいらした中国福建省福州府福清県の黄檗山萬福寺(古黄檗)がある山には、この黄檗樹(和名:きはだ)が繁茂していたそうで、そこから山号を黄檗山としたそうです。漢方薬の原料や染料としても使われます。
黄檗宗の儀式作法は中国、明代に制定されたもので、毎日誦まれているお経も明代南京官音なのだそうです。僧侶の方に文章を読んでいただくと、明らかに中国の音であることがわかります。建造物も明朝様式とのことですが、松に囲まれた伽藍は、しっかりと馴染んでいます。彼の地を思わせるものは、卍型の勾欄や特徴のある石畳、そして、いくつかの屋根の形ぐらいでしょうか。とてもおおらかで、包容力のある雰囲気を感じました。
また、万福寺と言えば、どなたも普茶料理を思い浮かべることと思います。頂いてまいりました‼ 隠元禅師が中国から伝えた精進料理ですが、見目も心細やかに作られていて、お味も繊細でバラエティーに富み、植物性蛋白質しか使われていないのが信じられないほどでした。
さらに、後水尾天皇(1596-1680)との深いご縁のあるお寺であることも知りました。(山村御流圓照時のご開山様、文智女王(1619-1697)は、後水尾天皇の第一皇女でいらっしゃいます。)
1667年、後水尾法皇は隠元禅師の法嗣となられた龍渓禅師(1602-1670)の法を嗣がれ、隠元禅師の法孫となられました。その年には万福寺境内に斜里殿を寄進されています。
後水尾法皇がこの世を去られた後も、修学院離宮の中にある林丘寺開祖でいらっしゃる文智女王の妹君、光子内親王(1634-1727)が黄檗との関係を継がれていかれました。林久寺に所蔵され、光子内親王の作品を写したものと伝えられている六曲一双の抛入花(なげいればな)掛花図屏風にも思いを馳せました。
参考文献
『黄檗山萬福禪寺』
『図説いけばな―社会文化体系にみる日本花道史―』
普茶料理
黄檗樹 (和名:キハダ)
鰻のかば焼き(普茶料理)
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