京都で紅葉が始まった頃、琵琶湖とその疎水が織りなすお庭を巡ってまいりました。
京都のお庭には様々なものがあり、禅宗寺院の枯山水、二条城のように池を中心にしたお庭、そして、もはや庭とは言い難い桂離宮や修学院離宮の庭園(???)、みなそれぞれに個性、そして四季の風情もあり、それらを楽しんでまいりました。と同時に、20年以上前から東山界隈にあるお庭が他のお庭とは違うと漠然と感じながら、いつか行ってみたいと憧れておりました。今回、「琵琶湖と疎水が織りなす近代日本庭園の水景を訪ねる」というレクチャーに参加し、その夢をかなえました。
無鄰菴は明治27年(1894)七代目小川治兵衛が作庭した山縣有朋の別邸で、現在、東山で開放されている数少ないお庭の一つです。東山を借景とし、伸びやかに広がるお庭の奥には滝があり、そこからの水の流れは浅く美しく、丁寧にお手入れをされた低木の間を縫っていきます。やはり、寺社や武家のお庭とは違い、計算はされているとは思いますが、ありのままの自然が演出され、自分自身が自然の一部であるかのような感じがしました。
無鄰菴の美しさは、東山の借景と水の流れと言われているのですが、東山の眺めを保つために、育っていく樹木の管理は大変なようです。また、滝や渓流の流れにかかっていく近景の枝、また、低木の一枝一枝にまで神経が行き届いており、その切り方はいけばなにも通じるものがあるような気がしました。そのように細かいところにまで心が行き届いていることも、このお庭の美しさの源なのだと思います。
また、水の流れは、もちろん、琵琶湖疎水の水が使われています。今回は琵琶湖側の取水口まで行き、「びわ湖疎水船」に乗って、疎水が流れるトンネルを通り、当時に思いを馳せました。ご存知のことと思いますが、そもそも、この疎水は、千年以上にわたって都であった京都が明治維新の東京遷都によって傾きかけたのを再生すべく始められた事業です。当初、疎水は水車による工業動力に用いる計画で、辺りは工場建設が予定されておりました。しかし、水力発電所建設に計画が変更され水車動力が不要になると、なんと、東山一体を風致保存することとなり、美しい別邸地が形成されていったのです。現在の東山のたたずまいを思った時、京都の人々の先見の明とその気骨に触れる思いがしました。無鄰菴の水の流れにも京都の篤い思いが込められています。
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3 無鄰菴から比叡山を望む
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